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南郷アートプロジェクト|なんごうをあつめる。

物語をあつめる。

STORY07[特別編]:田代のものがたり

田代とは?

青森県八戸市と岩手県久慈市を結ぶ、久慈街道沿いにある集落、田代。 今回お送りするのは田代地区番外編、その名も「もうひとつの田代のものがたり」。 本編に登場する「田代お嫁ーズ」は、嫁入りで田代に住み始めた方々が中心メンバー。 一方、今回の語り手は、生まれも育ちも田代、お婿さんをもらって家名を継いだ生粋の”田代っ子”のお三方。 生まれたときからの付き合いは80年以上経ちますが、集まればいつも話は尽きません。 楽しくかしましく、3人のお喋り祭りが始まります。

もくじ

episode01

働き方改革はいらない

「こういう商売やってらったの(やってたの)とちやさんが見せてくれた写真には、炭俵が映っています。お嫁―ズのお話にも出ましたが、田代は戦前、炭産業で栄えた地域。通りの両脇には常に炭俵が積んであり、馬車で八戸の街まで運ぶのです。炭焼きは田代でも行われていましたが、どちらかというと岩手県北産の炭が多く、田代は中継地点として馬車引きが休んだり、荷物の積み替えをする場所だったようです。

戦前、炭は、それだけで生計を立てられるような仕事でした。炉や七厘、こたつ、ろうそく。つまりどこの家でも調理、暖房、照明、すべての燃料が炭だったからです。

子どもながらに3人も、「手間取り」(アルバイト)として炭産業に携わっていました。すご(萱)を刈っておき、学校から帰ると炭すご(炭俵)を編んだり、縄をなったりして売ったのです。これは草刈りと同じくらいの手間賃で、10円ぐらいが相場。

炭の材料となる木を山に伐り出しにいく仕事は、きついけれど30円ぐらいになりました。山の炭焼き小屋で、焼いた炭をかまどから出す仕事や、炭俵を背負って馬車まで運ぶ「しょい出し」も、子どもにもできます。

正確なところは分かりませんが、当時、虚空蔵さんのお祭りではところてんが1円ぐらいで買えたそうですから、10円、30円ともなると、子どもにとってはけっこうな大金だったのではないでしょうか。

山での仕事があまり遅くまでかかると、暗い中で山を下りるのは危険ですから、もう家に帰れません。「けと小屋」(けぃど小屋)と呼ばれる萱でできた炭焼き小屋に泊まって、翌朝帰ることになります。そんなときはもちろん、まかない付き。寒大根や味噌、貴重なたんぱく源であるいわしも食べることができたので、かえって嬉しかったとか。

炭の仕事は子どもでも大人でも、男でも女でも関係なく、仕事ができればその分のお金がもらえました。ある意味、「裁量労働制」? 「働き方改革」なんて騒がなくても、田代ではずっと前から「同一労働同一賃金」が実現していたんですね。

働き方改革はいらない

episode02

あの日観た夢の時間

ちうさん、ちやさん、ミツ子さん。少女時代、アルバイトでせっせと稼ぎ、何に使っていたかというと…映画! なんと月に2回は観ていたとか。ラジオで映画情報をチェックしたら、「二十八日町の東宝に長横町、湊、小中野、どこまでも歩いて行ったもんだ。今だら(今なら)隣に行くっても車なのに(笑)」とちやさん。

映画館は八戸にありますから、徒歩で片道3時間。映画を観る時間より移動のほうがずっと長い! 現代の感覚からするとくじけてしまいそうになりますが、これから観る映画に思いを馳せながら、あるいは観たばかりの映画の感想を話しながら、友だちと歩く道のりは楽しかったのでしょう。

野良仕事の帰り、みんなで声をあわせて歌った『蘇州夜曲』は映画『支那の夜』の挿入歌。戦後になると『君の名は』で切ない恋物語に憧れて。

70年以上が過ぎた今も、その頃観た作品のことをよく覚えているのは、映画を楽しむ時間が上映中だけではなかったからかもしれません。

そして実は、帰りに歩かなくて済む”裏技”もありました。

 

八戸市中心部の鳥屋部町には「田代宿」というものがあり、ここは炭俵を運んで田代と八戸を往復する馬車引きのための宿。いつも馬がたくさんつないであるほど盛況でした。ここに来て頼めば同郷のよしみ。八戸に炭を降ろした後の馬車に乗せてもらい、田代に帰ることができたのです。

あの日観た夢の時間

episode03

馬そりと友だち

田代の冬。それは、かつては深い雪に閉ざされた時間でした。

戦争中は、兵隊さんが通りを行進する足元だけが軒下からやっと見えたというし、道路より少し低い場所にあるお宅では、雪の中にトンネルを掘って移動していたとか。

除雪車など通らないから、路面の雪だっていつまでもそのままです。圧雪した雪の上、移動は乗り合いの「馬そり」。乗り込む人々は着物にズボン下、はばき(レッグウォーマーのように脛に巻くもの)を身に付けて綿入れはんてんを着て、と考えうる最高の装備です。

というもの本来なら馬が引くそりのことですが、田代の場合は馬なし。通りが坂道になっているのを利用して、上から下への移動しかできないという代物です。進路やスピードのコントロールは、乗っている人の体重移動で。一言で言って、危ない。現在の道路でも坂にはなっていますが、舗装される前はさらに傾斜がきつく、そり滑りにはもってこいだったとか。

案の定、カーブを曲がり切れず田んぼや沢に突っ込む、なんてことはザラ。それにもめげず、乗客みんなで協力してそりを押し、なんとか道路に戻る。そしてまた脱線。その繰り返しでした。

移動という観点から見るとあまり役には立たなさそうですが(笑)、当時はけっこう楽しんでそりに乗ったり、押したりしていたそうです。そり遊びの延長のような感覚だったのかもしれませんね。

不便だけど、みんなでやれば楽しい。そんな環境が、ちうさん、ちやさん、ミツ子さんの80年以上続く友情を育みました。

「ちっちゃん」ことちうさんは8人きょうだい。お兄さんたちもいましたが、みんな八戸市内ほか全国に散っていて、家を継いで田代に残ったのは、5番目で次女のちうさんです。実は八戸にも家を建ててあるのですが、おさななじみのいる田代が好きで、部屋を借りて住んでいます。

「だって八戸だば(だったら)戸を閉めて、ご近所も誰も出はってこなかべ(出てこないでしょう)?」とちうさんが言えば、「ずっといればいい」とちやさん&ミツ子さん。

「ここが一番いいんだ」とこたつで笑い合う3人のお喋りは、まだまだ終わりそうにありません。

あの日観た夢の時間

おさななじみ3人祭編

本編でお話をしてくださった「田代お嫁ーズ」は、嫁入りで田代に住み始めた方々が中心メンバー。 一方、生まれも育ちも田代、お婿さんをもらって家名を継いだ生粋の”田代っ子”もいます。 付き合いはいつからかと尋ねると、「生まれたときからだべな」と笑う3人。 いつものようにこたつを囲めば、たちまち娘時代にタイムスリップ。 楽しくかしましく、お喋り祭りが始まります。

一山チヨさん(90)

福士ちうさん(89)

おっとりした話し方がかわいらしい、ちうさん。ニックネームは子どもの頃からずーっと「ちっちゃん」。昭和4年生まれ。ほかの2人いわく「いつまで経ってもちっちゃんはちっちゃん!」なのだそう。

成田清一さん(85)

戸来世(とくせ)ちやさん(88)

サバサバとした語り口が気持ちいい、ちやさん。珍しい「戸来世」姓のルーツは、階上町。400年以上も続く武家の家系なのだとか。昭和5年生まれ。

畑内与一さん(80)

立場ミツ子さん(85)

昭和8年生まれ。1人娘は跡取り娘、というわけで田代在住歴85年。今回、ご自宅をお喋り会場として開放していただきました。

もくじ