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南郷アートプロジェクト|なんごうをあつめる。

物語をあつめる。

STORY01:泥障作のものがたり

泥障作(あおづくり)?

「泥障作」の「泥障」(あおり)は馬具の付属具で、馬が蹴(け)上げる泥を防ぐ道具。集落の人々がこの泥障を作って暮らしを立てていたことから地名になったという説もあります。山肌の崖地にへばりつき、段々畑のように家々が並ぶ、16世帯が暮らす小さな集落です。歴史は古く、この地で40代続く壬生さんのご先祖は京都からやってきた一族だそう。10数年かけてたどり着き、故郷の風景に似ていたことから定住を決めたと伝わっています。

もくじ

episode01

あのときの赤ちゃんは

むかしむかし昭和の初め、泥障作に、島守からきたお嫁さんがおりました。

初めての子は里帰り出産、2人目以降は嫁ぎ先で出産が村のならわし。産婆さんを呼んで家で産むのです。

そのお嫁さんも1人目の子どもを授かり、お産が近づいたので実家への山道を歩きはじめる。と、いくらも進まないうちに産気づいてしまいました。そして、なんとそのまま、道ばたで赤ちゃんを生んだのです。付き添いの親戚は大慌て。息せき切って大きなたらいを手に入れてきます。実家はまだ遠かったため、たらいに母子を入れて泥障作の家まで運びました。

時は変わって平成の現代。泥障作れでぃーすは今日も井戸端会議。「山街道で赤ん坊が生まれてしまって…」淡々と話すシズエさんに、ミヤさんがぴしゃりとひとこと言いました。

「そりゃ、そのとき生まれたのはあんだ(あんた)だったべ!」

そんなことすっかり忘れていたシズエさん、思わず口あんぐり。一瞬の沈黙の後、一同は爆笑の渦に叩きこまれたのでした。

あのときの赤ちゃんは

episode02

いわし大根、くるび味

ミヤさんいわく「いわし大根」は「くるび味がしておいしかったんだ」“くるび味”はくるみの風味のことではなく、くるみと同じくらい“最高においしい”という、ほめ言葉。

いわし大根はきれいに洗ったいわしの頭と内臓に塩を加え、大根を漬けたものです。発酵したいわしは魚醤のような旨味を発揮。大根がハムのように赤くなり味がしみ込んだ頃、焼いていただきます。秋に漬けてひと冬食べる、昭和初期の南郷の大事なタンパク源でした。

山間の集落である泥障作では終戦後、自転車から自動車と交通手段を変えながら、八戸から魚売りがやってきました。貴重な魚は干したり漬けたりと保存食に。いわし大根もその1つでした。

イカの塩辛も作っておいて、冬の間交互におかずにしました。大きめの千切りにした大根といわし、酒粕を混ぜて煮て食べる料理もあったとか。

また大晦日のごちそうは焼き魚の塩鮭。米のごはんは「年とり晩げ(大晦日)だけ」(ミヤさん)、「お正月1週間、小正月5日、2月年とり(旧正月)3日」(テルさん)と、各家庭で少しずつ違うものの、めったに食べられないごちそうでした。

いわし大根、くるび味

episode03

豆しとぎのコツ

みんなが楽しみにしているおやつは「豆しとぎ」。大豆と米粉を使った郷土菓子で、今も道の駅などで買うことができますが、かつては各家庭の味がありました。中でもシズエさんは豆しとぎ作りの名人で、裕子さんいわく「他のは食べれなくなるほどおいしい」とか。今はシズエさんの息子さんのお嫁さんが、伝統の味を引き継いでいます。

電動の石臼で米を挽いて生の米粉を作り、すり潰した大豆、砂糖と混ぜて固めます。生の米粉を使うこと、大豆を固めに茹でてザックリと潰し、豆の食感を残すことが、噛めば噛むほど味わい深い豆しとぎを作るコツです。

豆しとぎのコツ

episode04

テルさん思い出の味

テルさんの父は、集落の料理人。結婚式や葬式の料理を取り仕切り、食材や献立に詳しかったといいます。そのせいか、テルさんの食べものに関する記憶は鮮やか。少女時代の思い出の味は今も昨日のことのように覚えています。

たとえば「さつま揚げ」。出会いは偶然、春まだ浅い日、雪解けにぬかるむ道でトラックが立ち往生したことからでした。トラックがいったん荷降ろしし、車体を引き上げて走り去った後、残されたさつま揚げ1枚。見たことないけど、おいしそう。口に運んだ幼いテルさんに衝撃が走りました。「こった(こんな)にうまいもんが、世の中にあったべか!」

夏はリヤカーを引いて鈴を鳴らし、アイスキャンデー売りが村に来ます。『1日食べれば1週間おいしい』のキャッチコピーも、子ども心を惹きつけました。大晦日のごちそうが鮭の焼き魚だった昭和10年代、アイスは憧れの的です。行商人は八戸から来て泥障作を通り、市野沢まで行って折り返す。父親は「市野沢からの帰りに買ってける(買ってあげる)」と言うけれど、その頃には溶けかかったものしか残っていない(だから安い)ことを、テルさんは知っていた。思い出の中、アイスはいつも溶けかけ、大急ぎで食べました。

村の相撲大会で初めて食べたにんじんとごぼうのかき揚げも、忘れがたい味です。「今でいうドーナツを食べたようなものだった」とか。

テルさん思い出の味

泥障作れでぃーす

集落の人々が協力して建てた壬生昭二さん、シズエさんご夫婦の家。ひと抱えもある大黒柱にお仏壇、客間には地域の日本画家に描いてもらったという虎の襖が印象的です。ここに集まってきたのは、泥障作に生まれ育った、または嫁いできた4人の女性たち。名付けて「泥障作れでぃーす」。南部弁の通訳兼コーディネーターとして、れでぃーすの1人、大久保テルさんの娘、悦子さん(最年少60代!)も加わりました。

見付ミヤ(89)

見付ミヤ(89)

大正15年生まれ。隣の集落である頃巻沢出身で、戦後間もなく泥障作に嫁入り。お喋りが大好き。今年夫の27周忌を迎えた。

中村シズエ(87)

中村シズエ(87)

昭和3年生まれ。泥障作の古舘家出身。母が島守の出身で、よくお使いに出ていたことが少女時代の楽しい思い出。

大久保テル(83)

大久保テル(83)

昭和7年生まれ。19歳で泥障作の壬生家から八戸市糠塚に嫁入り。娘夫婦・孫娘2人・ひ孫2人と暮らしながら現役で農業にいそしむ。座右の銘は「米が固かったら噛めばいい」

壬生裕子(79)

壬生裕子(79)

昭和12年生まれ。階上町の旧家から泥障作の壬生家に嫁入り。以来、泥障作の総本家である壬生家を切り盛り。

大久保悦子(63)

大久保悦子(63)

テルさんのひとり娘。母の実家である泥障作で生まれる。臨床検査技師として病院勤務のち定年退職し、今はテルさんや娘、孫たち7人家族の主婦。ディープすぎる方言の通訳兼コーディネーター。

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